2015年7月、米国ロサンゼルスのパサデナ市内にて開催された国際口笛音楽コンクール、Masters of Musical Whistling 2015(MMW2015)において、口笛奏者 奥野靖典(おくの やすのり)さんが総合優勝を果たし、見事、世界チャンピオンとなりました。
くちぶえ音楽院へ奥野さんより優勝記念メッセージを寄稿頂きましたので、是非ご覧ください。
大慌ての中で迎えた国際コンクール本番
Masters of Musical Whistling 2015でWorld Championの称号を頂いたことについて、受賞後の所感を寄稿致します。
まず、私が出場したのは「音源あり」と「生バンド」の二部門。演奏したのは、浜渦正志作曲、部門順に「Zauberkraft」と「Rosenkrantz」という曲でした。
当初は、同点になった場合のタイブレークを含めて各部門二曲ずつ用意することという規定があり、「音源あり」部門に上の二曲を、「生バンド」部門にアメリカウケを狙ってiPhoneのデフォルト着信音にある「Opening」と「Marimba」のメロディーに乗せてアレンジした口笛を演奏しようと思っていましたが、開催直前に規定が変更されたため、急遽、演奏曲を上記二曲に絞り、生バンド用には楽譜を提出しなければならなかったのでAmazonの即日配達で購入し、スキャンして送り直すという突貫作業を強いられました。
アメリカ入国のために必要なESTAの手続も認識していなかったので、それと合わせて作業していたこともあり、なかなか焦りました。
練習時間もあまり取れず、通勤の行き帰りで自宅・勤務先と最寄駅の間を歩きながらCDを聴いて口笛を吹くという、端から見たらかなり変な人に映る方法で練習していました。
開催の前日にリハーサルをした段階では、バンドのピアニストの方も初見の楽譜だったようで、かなり大変そうでした。
勝因その1~ブレスフリー奏法
さて、ここから本題です。以下のとおり、勝因を自分なりに分析してみました。
第一に、奏法。
口笛というのは、息を吐いても吸っても音が鳴るものなのですが、殊、演奏において両方を駆使し、どちらでも音階を高音域から低音域まで上下させ、音楽と呼べるレベルの演奏ができる口笛奏者は多くはいないようです。
私自身、これができることを特異だとは認識しておらず、前回の「おおさか国際口笛音楽コンクール」で別の口笛奏者に「いつ息継ぎしてるんですか?」と訊かれて初めて気づきました。
確かに他の奏者の演奏を聴いていると、必ずマイクに「ーッ」という息継ぎの音が入り、意識し出すとこれがなかなか耳に障ります。壮大な曲になればなるほど、必要とする空気の量は多くなりますので、一層顕著に。
その点で、私は息継ぎをする必要がないので、今回の大会では、この利点をフルに発揮できる曲を選曲し、さらに生バンド部門の演奏直前、観客に対して次のように言いました。
「実を言うと、私は口笛を吹いている間、一切、息継ぎをしていません。だから演奏中、私の息継ぎに、その点における他の口笛奏者との違いに、注目してもらえないでしょうか」
この奏法については終わった後、かなり多くの観客から質問を受けたくらいなので、審査員にも幾分訴求したのではないかと推測します。
この奏法を、他の吹奏楽器ではできない口笛独自の演奏技術としてその地位を確立するため「ブレスフリー奏法」と呼ぶことにしようと思います。
(ウォーブリング奏法が口笛音楽界で流行ったのはネーミングによるところもあると思うので、こういうのは大事です)
勝因その2~選曲(即興による演奏)
第二に、選曲。
今回演奏した曲、するはずだった曲、すべてに共通する特徴があります。何かと言うとそれは、予め決められたメロディーがない、ということです。つまり、即興。
会場で実際に聴いていた方は是非、上記の二曲、「Zauberkraft」と「Rosenkrantz」をiTunes等で検索してみて下さい。私が口笛で演奏していた主旋律とも思えるメロディーは一切流れてきません。なぜなら初めからそんなメロディーは存在しないからです。勝手に私が付け加えました。
アレンジと説明していましたが、ほとんど作曲に近いです。ただ、着想は原曲に乗せることを前提にしているという点でゼロから生み出しているわけではないのですが。
もちろん、事前にどういう構成にするかは練習しながら大体固めています。が、今大会に関して言えば、私は両方メロディーを間違え(というか事前に用意していたものとは変わっ)てしまいました。それは緊張や唇のコンディションでMAXの高音域の出が悪かったり、ライブバンドのピアノのテンポや音色が思っていたものと違っていたりしたためです。
演奏しながら(相当焦りながら)、途中からメロディーを変え、その場でリズムとハーモニーと全体の帳尻が合うように構成し直しました。
つまり、間違えても端からはわからない曲を選んだ(作った)ということです。
明らかにリズムや音がずれるということがない限り(まあ、ずらさないのが難しいんですけど)、私はあの二曲に関して間違えることはありません。ただ、あの大会のあの瞬間に生まれた曲と全く同じものは、二度と演奏することができません。私でさえ、もう覚えていないので。
今、確信しています。これこそが自分のスタイルだと。
この確信と発見こそ、今大会の最大の勝因だと私は考えています。なので、これからは「ブレスフリー奏法」の「即興口笛奏者」として、その可能性をもっと模索していきたいと思っています。
中川大輔さんを偲んで
最後に、2008年の国際口笛コンクールでアライドアート部門へ私と一緒に出場し、口笛演奏をしながら竹刀を使った殺陣を実演するというパフォーマンスで9位入賞を果たしながら、不幸にも数年前に心臓発作で亡くなった大輔さんについて。
今回の米国滞在中、寝ている間に何度も夢に出てきたなんて、出来すぎた話をするつもりは微塵もありませんが「大輔さんが一緒に来ていたら、もっと楽しかっただろうなあ」と思うことが多々ありました。
少なくとも、彼が生きていたら↓の男同士特有の会話は絶対に繰り広げられていたと思います。(京都と三重の方言で再生して下さい)
「大輔さん、あのコ、やば綺麗ちゃいます?」
「わかる!Mollyやろ?」
「口笛界では滅多にお目にかかれない美人っすよ。千年に一人の天使でしょ、あれ」
「ほんまやなぁ、ええなぁ。ああいうコやったら、国際結婚もアリやんなぁ」
「いや、それステップ飛ばしすぎですってww」
「なんでーさ。だって、やす、あの子と結婚したらやな、生まれてくる子ォ、絶対、ベッキーなるで」
「いや、あれはどっちかっつーと、トリンドルの方ちゃいます?」
「あそっか。でも俺、ベッキーの方が顔のタイプとしては好きやな」
「ええ〜? マジすか。僕、絶対トリンドルすわ」
「やすとは、ほんまに好み違ってよかったなぁ」
「ちょ、大輔さん、やばいす。Mollyの友達にモデルがいます!モデルが!」
「うわー、脚長っ! あれはでも、やす、無理やで…」
…間違いありません。
大輔さんとなら、きっと、もっと、面白かったに違いありません。
今みたく勝てたかどうかはわかりませんが。